「第一夜」の文体の特徴は、いわば過剰な「叙景」だ。
「第一夜」には読者に映像を喚起させる描写が、しつこいほどに念入りに語られている。そしてさらにそれが異様とも言える密度で、形容詞や形容動詞や副詞によって修飾されている。
実際にそのようにして「詰め」てみた文章を通読する。
こんな夢を見た。/枕元に坐っていると、女が、もう死にますと言う。死にそうには見えない。しかし女は、もう死にますと言った。自分もこれは死ぬなと思った。そこで、そうかね、もう死ぬのかね、ときいてみた。死にますとも、と言いながら、女は眼を開けた。
/自分はこの目を眺めて、これでも死ぬのかと思った。それで、死ぬんじゃなかろうね、大丈夫だろうね、とまたきき返した。すると女は、でも、死ぬんですもの、しかたがないわと言った。/じゃ、私の顔が見えるかいときくと、見えるかいって、そら、そこに、映ってるじゃありませんかと、笑ってみせた。自分は、顔を枕から離した。どうしても死ぬのかなと思った。/女がまたこう言った。/「死んだら、埋めてください。そうして墓のそばに待っていてください。また逢いに来ますから。」/自分は、いつ逢いに来るかねときいた。/「日が出るでしょう。それから日が沈むでしょう。―日が東から西へと落ちてゆくうちに、――あなた、待っていられますか。」/自分はうなずいた。女は「百年待っていてください。きっと逢いに来ますから。」と言った。/自分は、待っていると答えた。女の眼が閉じた。もう死んでいた。/自分はそれから庭へ下りて、穴を掘った。女をその中に入れた。そうして土をかけた。/それから星の破片の落ちたのを拾ってきて、土の上へのせた。/自分は苔の上に坐った。これから百年の間、こうして待っているんだなと考えながら、墓石を眺めていた。/そのうちに、日が東から出た。それがやがて西へ落ちた。一つと自分は勘定した。/しばらくするとまた天道が上ってきた。そうして沈んでしまった。二つとまた勘定した。/自分は日をいくつ見たか分からない。勘定しつくせないほど日が頭の上を通り越していった。それでも百年がまだ来ない。しまいには、自分は女に欺されたのではなかろうかと思い出した。/すると石の下から茎が伸びてきて、百合が開いた。自分は花弁に接吻した。空を見たら、暁の星が瞬いていた。/「百年はもう来ていたんだな。」とこの時はじめて気がついた。
これで850字くらい。原文は1800字くらいなので、半分以下に原文を詰めてみても、ストーリーを追う上ではほとんど支障がないどころか、物語的には原文とほとんど変わらないような印象があるはずだ。
逆に言えば「第一夜」には、ストーリーを語る上で必須とは言えない描写や形容が、過剰とも言える量・密度で書き込まれているのだ。
さて結局のところ、作品は何でできているか?
我々がそれを「物語」として感じる基本的「構造」を言わば「骨」としてみると、その周りに、細かいプロットの展開が言わば「肉」として付随している。最初の課題、100字要約はそれをぎりぎりまで削ぎ落として、ほとんど骨だけにしたものだ。
逆に、そこに肉付けされた身体が上のような文章で表される小説の原形だとすると、その上に衣服を着せ、化粧さえ施したものが完成された小説作品だ。
「第一夜」は、ずいぶんな厚着、厚化粧なのだ。
「肉」や「衣装」「化粧」はどんな働きをしているか?
感情移入させる、臨場感を増す、視覚的想像を喚起する…。
いろいろな言い方が可能だ。
完成された作品としての小説は次のようないくつかの層で成立している。
骨組み ↓
細かい展開 ↓
映像的描写 ↓
形容 ↓
完成した小説
こうした小説を我々はどのように読んでいるか?
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