問題は「明治」という時代なのだと先に確認した。
そして小論文を書く前に、漱石の講演録「現代日本の開化」の一部を読んだ(もっと長いものが2,3年生が使っている「現代文」の教科書に収録されている)。
これは「夢十夜」の3年後に行われた講演だ。そこで漱石は、明治の日本の開化は、外国の圧力によって「外発的」に起こった開化だと言っている。そしてそのような開化を「皮相上滑り(表面的で中身の伴っていない)の開化」だと皮肉っている。
これはもはや種明かしのようなものだ。ここで語っている主張を「第六夜」の主題だと考えると、すんなり腑に落ちる。外発的で急激な開化によって、「明治の木」にはもはや仁王は埋まっていないのだ。
こうした結論は、ネットに溢れる「第六夜」論にもいくつも見ることができる。
答えは既に出ているのだ。
だから問題は語り方だ。論の組み立て方、表現の選び方だ。
「第六夜」の主題は「西洋文明の流入によって、日本古来の文化が失われつつある『明治』という時代に対する冷ややかな眼差し」とでもいったようなものだ。「皮肉」と言ってもいいし「嘆き」と言ってもいいし、ストレートに「批判」と言ってもいい。
こうした主題を語る上で「芸術」という語がどれほど有効だろう。世に溢れる「第六夜」論が、主題については大方妥当な見方をしているにもかかわらず、多くが「芸術」に言及しているのは、若い男の言葉からミケランジェロの言葉や、それが一般にひろまった「芸術」神話を連想するからだろう。だがそれはどんな論理的整合性をもつのか。
芸術家と職人という対比で象徴される概念として、「才能/技術」以外にどんな語を想起すると、論を組み立てる上で有効か?
「芸術家=独創」はどうか? 芸術家にはオリジナリティが必要だ。
「独創」の対義語は「模倣」だ。だが運慶を「独創」と表現することは可能だろうが、「模倣」と見なすことはそもそもできない。だから選択にならない。
「芸術家=独創」に対する別の対比を考える。
次の発想ができれば論が展開できる(あるいは先の見通しがあればこのような発想ができる)。
芸術家=独創/職人=伝統
この運慶は時代を超越するような形で出現する独創的な天才芸術家ではなく、熟練した職人として描かれている。運慶の仕事ぶりが芸術家としての創作だとしたら、②の問いの「明治の木には」という限定に何の意味があるのかがわからない。運慶の技を伝統的な職人技の発現としてのルーチン・ワークだと考えることによって「明治の」という条件が理解できる。
職人の技術とは、単に繰り返した修練によって彼個人が体得した技術、というだけではない。それはその技を磨き上げてきた数知れない先人の営みの分厚い積み上げの上に成り立つものだ。運慶が体現しているのは、そうした職人集団の伝統なのだ。
そして明治の文明開化によって脅かされているものは、天才の芸術ではなく、職人一個人が体得した技術でもなく、日本人の伝統であるはずだ。
ただ「独創」の語を活かそうとするなら、外国の文化の「模倣」ばかりする明治に対して、運慶が日本固有の文化を体現しているという文脈で論理に組み込むことが可能ではある。「自分」が仁王を彫ろうとする動機も、若い男の言葉に誘導されて運慶の「模倣」をしようとしたのだ。
だがそれは運慶の体現しているものを(あるいは「自分」に欠けているものを)「芸術」の語で語るということではない。
では「開化」という名の文化的な断絶を経験する時代状況において「運慶が今日まで生きている理由」とは何か? 「自分」は「なぜ生きていられるか」「なぜ生きていなければならないか」どちらの理由に納得したのか?
実はもはや①の問いの答えは大した問題ではない。
上記の読解に従って言えば、そのような技を受け継いでいるからこそ運慶は今も「生きていられる」のだと言ってもいいし、運慶が体現する伝統の技は、この明治にこそ「生きていなければならない」と言ってもいい。後者のように言うなら、それは運慶がそう考えているのではなく、やはり我々が運慶に託した期待である。我々が運慶に生きていてほしいと思っているのだ。
そのとき運慶は、時代を越えて継承されるべき伝統文化の象徴である。
「第六夜」はこんなふうに「運慶」や「仁王が埋まっていない」を象徴と見なす、物語内の具体レベルから一段抽象度の高い「主題」を想定することで、「意味」がわかったと感じられる小説だ。それは、そのような「主題」を必要としない「第一夜」を受容することとはかなり違った読解体験である。
これが授業者にとっての一応の結論だが、それは、これ以外の解釈が成立する可能性がないということではない。
小論文は、説得力に応じた評価をしていい。
さて、評価直前に一つの「種明かし」をしたのだが、これ、明かされる前に気づいた人はいたろうか? いたら是非名乗り出てほしい。みんなの前で賞讃したい。
以上のように「第六夜」の主題を捉えた時、次の一節も意味あるものとして物語の文脈に位置づけられる。
裏へ出てみると、先だっての暴風 で倒れた樫を、薪にするつもりで、木挽きに挽かせた手ごろなやつが、たくさん積んであった。
仁王の埋まっていない「明治の木」は「先だっての暴風で倒れた樫」なのだ。
この「先だっての暴風」とは何のことか?
もはや明らかだ。「暴風」とは1853年の黒船来航に続く幕末の動乱とそれに続く文明開化のことに他ならない。西洋文明の流入は、「あらし」のように日本人の精神を、日本文化を薙ぎ倒したのだ。
この付合が偶然であるとは到底思えない。「明治の木」の来歴としてさりげなく書き込まれたこのような形容を、漱石が意識せずに書き付けているはずはない。全体を貫く論理が見えてきた時にのみ、その意味がわかるように、漱石はさりげなく、だが明らかに意図的に、こうした形容を付すのである。