2026年7月25日土曜日

思考の誕生13 未来をつくる言葉4 論旨を重ねる

  さてここまで、今年度に入ってから6編の文章を読んできた。

  1. 「思考の誕生」
  2. 「場所と経験」
  3. 「物語るという欲望」
  4. 「他者の言葉」
  5. 「未来をつくる言葉」
  6. 「生物の作る環境」


 ここに共通する論旨を抽出しよう。


 「未来をつくる言葉」の問題意識を、ここまで読んできた文章群と重ねてみよう。

 既にフィルターバブルと環世界を重ねて考えたから、「他者の言葉」と「生物の作る環境」につながることはわかる。我々はそれぞれの「フィルターバブル」=「環世界」の中にいる。

 そしてフィルターバブルの膜を越境するために必要なのが「言葉」であり、さらにそれを生み出すために重要なものは「異質な他者と自分を架橋するための心理的な土台を築くこと」だとドミニク・チェンは言う。その困難については「近代」の問題として「〈私〉時代のデモクラシー」などにもつなげて考えた。


 さらに、「未来をつくる言葉」の主旨を他の文章と重ねよう。

 それぞれの文章の主旨を、なるべくシンプルな一文で捉えることはその都度やってきたし、それぞれの論がどのように関連し合っているのかも確認してきた。

 論理の比較のためには、そうした一文の文型を揃えて、それぞれの文中から引用した言葉が対応していると感じられる必要がある。

 「一文で表す」というのは「命題」の形にするということだ。名詞で終わってはいけない。主語述語が揃った形。

 主旨を一文にするには、なるべく題名を有効利用するのが簡便だ。とはいえ上記のどれもこれも体言で終わっているので、それらの名詞が主語なのか述語なのか目的語なのか形容句になるのかは、内容を把握していないと判断できない。

 「思考の誕生」なら「思考の誕生は~。」とまとめて主語に置く文も「思考は~誕生する。」と主述に分ける文も作れる。

 「物語るという欲望」なら、「人には物語るという欲望がある。」か「物語は断絶から生まれる。」あたりだが、この二つなら後者の方が主旨が盛り込まれている。

 ならば「思考の誕生」は「思考は他人性から誕生する」とすれば文型が合う。「物語」と「思考」が、「断絶」と「他人性」が対応している。

 ここに「未来をつくる言葉」の主旨を重ねる。

 「未来をつくる言葉」の主旨を一文に表すのは容易だ。自動的にできる。

言葉は未来をつくる。

 だがこれは上の二つの文章と文型が合わない。主述を入れ替えよう。

未来は言葉から生まれる。

 「思考」「物語」が「未来」と対応しそうだという見通しは悪くない。

 本文に「未来」という言葉は実は登場しない。ただ文末が次のように終わる。

わたしたちは目的の定まらない旅路を共に歩むための言語を紡いでいける。 

 この「目的の定まらない旅路」が「未来」の隠喩になっていることに気づけば、「言葉」が、そうした旅路を「共に歩む」よすがになるのだと言っていることはわかる。

 「主旨」というより「主張・メッセージ」くらいに拡張して言うなら?

未来をつくる言葉を共に探そう。

 くらいか。

 となるとさらに、そうした言葉はどのように探せば良いのか(そこにはどんな困難があるのか)、といったあたりが書かれている文章なのだと把握できる。


 だが単にフィルターバブルを越えて互いにつながり合おうとか、そのための「言葉」を探そうといったメッセージだけを、「気分」のように唱えるだけでは問題の核心が見えてはこない。

 問題は「言葉」が「断絶」や「他人性」と対応していると考えるには飛躍があることだ。どう考えたらいいか。

 「言葉」について、終盤に次の一節がある。

じっと耳を傾け、眼差 しを向けていれば、そこから互いをつなげる未知の言葉が溢れてくる。

 この「そこ」が指しているのは(人間同士の)「わかりあえなさ」だ。

 つまりこの一節はそのまま次のように言い換えられる。

言葉は「わかりあえなさ」から生まれる。

 とすれば、三段論法によって次の一文が生成できる。

未来は「わかりあえなさ」から生まれる。

 これは「思考の誕生」「物語るという欲望」が語っていることそのものではないか。

 つまり「わかりあえなさ」が「思考の誕生」の「他人性」、「物語るという欲望」の「断絶」に対応しているのだ。


 こうした主張の裏には何が批判されているか? どんな方向性に対するアンチとしてこうした主張がなされているのか? 仮想敵は誰か?


 断絶の前で「言葉を失う」とき、人は「既に存在するカテゴリに当てはめて理解しようとする誘惑に駆られる」。ドミニク・チェンがそう語る危険こそ、蓮實が「他人性」を希薄にする(=他人を理解する)ために「たがいに自己の内面のイメージを投影しあう」「風土」が「蔓延しがち」だと言っている現在の状況だ。「誘惑に駆られる」といい「風土が蔓延する」といい、そこが仮想敵であることを示すサインだ。

 つまり二人は「安易にわかった気になるな」と言っているのだ。「わかりあえなさ」に「じっと耳を傾け、眼差しを向け」ろ、と言っているのだ。

 すぐに「わかり」たがる安易な姿勢を戒めているという点で、蓮實とドミニク・チェンのメッセージは一致している。


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