2026年7月8日水曜日

夢十夜 第一夜7 暁の星を見る

 「暁の星を見た」から「百年が来ていたことに気づいた」と考えることは、どのような解釈を成立させるか?

 

 「暁の星」とは何を意味するか。もちろん、意味を見出せない要素は、この小説の中にいくらでもある。「真珠貝」然り、「星の破片」然り。あるいはそれらは、小説の構造を支える明確な「意味」をもった構成要素なのかもしれない。だが今のところ筆者の目には、それらはその「意味」について考えても仕方のないような単なる「ロマンチックな」ガジェットに過ぎないように映っている。

 「暁の星」も同様のギミックに過ぎないのだとすれば、bのような解釈は無意味だ。

 そうなのだろうか?


 例えば暁の星を女の隠喩としてみる解釈が世間にはある。この可能性を考えてみよう。

 普通の読者が星を女の隠喩として読むことは難しい。だが聞いてみると少数ながらそれを支持する者はいるし、考察・議論をすると支持者は増える。

 あえて星が女の隠喩なのだとする根拠を考えてみるる。次のような根拠が挙がる。

  • 死ぬことを「昇天」「星になる」とする慣用表現がある。
  • 「星の破片」「真珠貝に指す月の光」「遙かの上」など、天につながる要素が物語中にある。
  • 「瞬く」星は目を連想させ、百合に落ちる露は女が死ぬ際に流れる涙のイメージと重なる。
  • 「暁の星」は「明けの明星」つまり「金星」を意味する。金星は西欧ではローマ神話に由来して「ヴィーナス」すなわち「美の女神」を意味する。

 いくらかもっともらしくなってきた。


 だがなんなんだ? この解釈は?

 百合が女をイメージさせるように意図的に書いてあることは明白なのに、なんでこんな解釈をする必要があるのか?


 そこで、もうちょっと辻褄を合わせるために更に論理を構築する。

 百合が咲く契機は何か。男が「自分は欺されたのではなかろうかと思い出した」からだ。つまり女は男の疑いに対して、自分が約束を忘れていないことを示す自身の身代わりとして百合を咲かせ、天から露を落として、自分がいることを悟らせるための合図を送ったのだ。女は天から、いつだって自分を見守ってくれていたのだ。そう気づいた時に男は「もう百年は来ていた」と気づいたのだ。

 これはかなりもっともらしい解釈だ。百合も星も女なのであり、天との交感や露の「意味」についても回収している。問②の答え「女が会いに来たから」を発展・補完しているように思える。


 だが、このような解釈は筆者には何のカタルシスももたらさない。辻褄の合った理屈が構築される快感があって飛びつきたくなるが、なるほど確かにそうだという腑に落ちる感じはない。「第一夜」は既によく「わかっている」というのに、まるで人工的な、こんな解釈をすべき必要がわからない。

 「暁の星」にスポットを当てて、もう一度考えさせたのは別な狙いがある。


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