考える糸口は次の問い。
なぜ「自分」は
①「百年がまだ来ない」と考えたのか?
②「百年はもう来ていた」と気づいたのか?
物語の最後で白い百合が咲く前に「自分」は女に欺されたのではなかろうかと考える。①はその直前に置かれた記述。②は百合に接吻して物語が終わる最後の一文だ。
二つの問いに、整合的な論理で答える。
どちらも、「勘定」が「百年」に達していない①、達した②ということではない。なぜか?
自分は途中で数えることを放棄しているからだ(「いくつ見たかわからない」)。
ではなぜ「まだ来ない」と考えたのか?
言うまでもなく、①「女がまだ会いに来ないから」だ。女は「百年経ったらきっと会いに来る」と言った。その女が現れないから、百年はまだ来ていないと考えたのだ。
これを裏返せば、「百年がもう来ていたことに気づいた」のは②「女が会いに来たから」ということになる。
これはつまり、百合を女の再来と認めたということにほかならない。
①と②は裏表に補完し合っている。
読者がこの小説を完結した「物語」として読めるのは、①②の論理を了解しているということだ。喪失によって生じた「欠落」は、試練の末「回復」したのだ。
この明白な理屈に疑問を投げかける。
自分は首を前へ出して、冷たい露の滴る、白い花弁に接吻した。自分が百合から顔を離す拍子に思わず、遠い空を見たら、暁の星がたった一つ瞬いていた。
「百年はもう来ていたんだな。」とこの時初めて気がついた。
③「この時初めて気がついた。」の「この時」とは上の一節のいつか?
問題はどの時点か、ではなく「この」が指している事実が何かだ。
そしてその事実と「気がついた」にどんな関係があるか、だ。
とすれば、この二つの可能性は、ただちに次のように問い直される。
②なぜ「百年はもう来ていた」ことに気づいたのか? の答えは次のどちらか?
- a 女が百合として会いに来たから
- b 暁の星を見たから
これは、どちらが正解か、という問いではない。
aとbはどのような関係になっているか、が問われている。
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