さらに小説を読むとはどのような行為かを考える。
小説を読むとは、まず文章を読むことだ。そして「第一夜」は、どのような物語かを把握するよりもまず、その文章によって魅力的たりえている。文章を読むこと自体が快楽をもたらすのはなぜか?
「第一夜」の冒頭を次のように音読して聞かせた。
腕組みをして枕元に坐っていると、仰向きに寝た女が、もう死にますと言う。女は髪を枕に敷いて、瓜実顔をその中に横たえている。頬の底に血の色が差して、唇の色は赤い。死にそうには見えない。しかし女は、もう死にますと言った。自分もこれは死ぬなと思った。そこで、そうかね、もう死ぬのかね、と上から覗き込むようにしてきいてみた。死にますとも、と言いながら、女は眼を開けた。睫に包まれた中は、ただ一面に真っ黒であった。その眸の奥に、自分の姿が浮かんでいる。
原文とどこが違うか?
さらに書き換える。
枕元に坐っていると、女が、もう死にますと言う。死にそうには見えない。しかし女は、もう死にますと言った。自分もこれは死ぬなと思った。そこで、そうかね、もう死ぬのかね、ときいてみた。死にますとも、と言いながら、女は眼を開けた。その眸の奥に、自分の姿が浮かんでいる。
これは原文とどう違うか?
最初に抜いたのは「静かな」「長い」「柔らかな」「真っ白な」「温かい」「はっきり」「ぱっちり」「鮮やかに」など。
次に抜いたのは「腕組みをして」「女は長い髪を枕に敷いて、輪郭の柔らかな瓜実顔をその中に横たえている。真っ白な頬の底に温かい血の色がほどよく差して、唇の色はむろん赤い。」など。
これらは何か? 何を削ったのか?
第一段階については「修飾」が削られている、という意見が圧倒的に多かった。悪くないが「修飾」という概念はちょっと広過ぎる。
第二段階は「様子」や「状態」を表す部分だ。
どちらも悪くないが、サ変動詞にできる熟語で揃えよう。
想定していたのは「形容」と「描写」。
「形容」は、品詞としては形容詞・形容動詞・副詞など、ある名詞や動詞を修飾する一単語。
「描写」は、何をした、何が起きた、というだけでなく、それがどんな「様子」だったかを視覚的に伝える情報。
もちろん「形容」と「描写」の境目は明確ではないが、ともかくも例えば「形容」「描写」という言葉で表現できるかどうかもまた国語の力だ。
さて、この改稿を全編にわたってやってみる。
こんな夢を見た。
枕元に坐っていると、女が、もう死にますと言う。死にそうには見えない。しかし女は、もう死にますと言った。自分もこれは死ぬなと思った。そこで、そうかね、もう死ぬのかね、ときいてみた。死にますとも、と言いながら、女は眼を開けた。自分はこれでも死ぬのかと思った。それで、死ぬんじゃなかろうね、大丈夫だろうね、とまたきき返した。すると女は、でも、死ぬんですもの、しかたがないわと言った。じゃ、私の顔が見えるかいときくと、見えるかいって、そら、そこに、映ってるじゃありませんかと、笑ってみせた。自分は、どうしても死ぬのかなと思った。女がまたこう言った。「死んだら、埋めてください。そうして墓のそばに待っていてください。また逢いに来ますから。」自分は、いつ逢いに来るかねときいた。「日が出るでしょう。それから日が沈むでしょう。―日が東から西へと落ちてゆくうちに、――あなた、待っていられますか。」自分はうなずいた。女は「百年待っていてください。きっと逢いに来ますから。」と言った。自分は、待っていると答えた。女の眼が閉じた。もう死んでいた。
自分はそれから庭へ下りて、穴を掘った。女をその中に入れた。そうして土をかけた。それから星の破片の落ちたのを拾ってきて、土の上へのせた。自分は苔の上に坐った。これから百年の間、こうして待っているんだなと考えながら、墓石を眺めていた。そのうちに、日が東から出た。それがやがて西へ落ちた。一つと自分は勘定した。しばらくするとまた天道が上ってきた。そうして沈んでしまった。二つとまた勘定した。自分は日をいくつ見たか分からない。勘定しつくせないほど日が頭の上を通り越していった。それでも百年がまだ来ない。しまいには、自分は女に欺されたのではなかろうかと思い出した。
すると石の下から茎が伸びてきて、百合が開いた。自分は花弁に接吻した。空を見たら、暁の星が瞬いていた。「百年はもう来ていたんだな。」とこの時はじめて気がついた。
これで800字ほど。元の小説は1800字くらいあるから、半分以下になっているのだが、おそらく元の小説の印象とそれほど変わらないのではなかろうかと思う。
この作業を通して浮かび上がるこの小説の文体の特徴とは何か?
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