「4章」で、ようやくヒロインたる「舞姫」=エリスが登場する。
この、語り手=豊太郎とエリスの出会いの場面について考察する。
掲げるのは次の問い。
- エリスはなぜその時そこで泣いていたか?
この場面でエリスの置かれた状況を的確に捉えることは、この後のエリスと豊太郎の関係を捉える上で重要であるばかりか、それ自体、考察することに手応えのある問題でもある。
全体14章分割では、エリスとの出会いのシークエンスを4章5章と二つに分けている。両章の3文要約を続けて行い、いったん上記の問いについて考察する。
二つの章からわかることもある。だがこの問いに答えるには、次の6章まで読み進めないと、推測するために十分な情報が得られない。
国語の授業に求められているのは、結果的に文章の内容を理解することではなく、何事かを考察したり議論したりすること自体だ。重要なことはどのような手がかりを元に推論するか、だ。
まず4章から、父親が死んだこと、エリスの家庭が貧しく葬儀さえ出せないでいることはただちにわかる。
だがわからないこともある。「彼のごとく酷くはあらじ」というのが何のことかは、4章ではわからない。
だがこれは5章でいくらかわかる。「彼」とは座頭のシャウムベルヒであり、経済的援助を申し込んだところ、弱みにつけ込んで「身勝手なる言ひ掛け」をしたとある。さらに4章の「彼のごとく酷くはあらじ。また我が母のごとく」「母は我が彼の言葉に従はねばとて、我を打ちき。」から、母が座頭と結託してエリスにそれを強いていることがわかる。「言い掛け」は「酷」いものなのだ。
だがまだこれだけでは「酷い」「言い掛け」の中身がわからない。さらに4章のある言葉の意味もまだ、4,5章だけではわからない。
「言い掛け」は、語註では「言いがかり」となっているが、現代語の「言いがかり」のニュアンスは誤解を生じさせそうなので「要求・提案」と訳しておく。
さて、5章の「身勝手なる言い掛け」とともに4章でわからないまま保留になっているのは「恥なき人とならん」の中身だ。つまりシヤウムベルヒの「身勝手なる言い掛け」とは、エリスが「恥なき人とな」ってしまうような「酷い」ものなのだ。
それが何かを推測するには6章の次の一節を待たねばならない。
6章
はかなきは舞姫の身の上なり。薄き給金にてつながれ、昼の温習、夜の舞台と厳しく使はれ、芝居の化粧部屋に入りてこそ紅粉をも粧ひ、美しき衣をもまとへ、場外にては独り身の衣食も足らずがちなれば、親はらからを養ふ者はその辛苦いかにぞや。されば彼らの仲間にて、賤しき限りなる業に堕ちぬはまれなりとぞ言ふなる。エリスがこれを逃れしは、おとなしき性質と、剛気ある父の守護とによりてなり。
ここではまず「賤しき限りなる業」の内容を推測しなければならない。が、それは難しくはない。
つまり舞姫の収入はそれほど高いものではないから、その多くは身体を売って生活していたということなのだ。
だがエリスは、父親に守られて、これまでそれをせずにいた。だがその父親が亡くなった。
これでシヤウムベルヒの「言い掛け」が何のことかわかる。エリスに、お前も体を売れという要求・提案なのだ。それを受け入れることは「恥なき人とな」ることだ。
さらに母親がシヤウムベルヒと結託し、嫌がる娘を殴る。酷い話だ。ヒロインはこのように追い詰められた状況で物語に登場する。
このように、4章、5章と読みつつ問うが、結局6章まで読まないと十分な手がかりが揃わない。三つ全てを総合して初めてこのような推論が可能になる。重要なのは結論ではなく推論の過程だ。
これで「なぜ泣いていたか」が一応は説明できた。
だがこの問題はこれで終わりではない。
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