さて、読み進めながら、そこまでの時点で考察すべき問題について、随時考察をしていく。
その最初の問題は、「石炭をばはや積み果てつ。」という冒頭の一文だ。
- この冒頭の一文は何のことを言っているか?
- なぜ冒頭にこの一文が置かれているか?
実はこの問いは、もともと生徒から質問されたものだ。問われて初めてこの一文が何を意味しているかについて、自分がまるで考えていなかったことに気づいた。それまでに何度も「舞姫」を読んだことがあったばかりでなく、複数学年で授業をしたことさえあったのに、である。
といって、まったく意味がわからないと感じるのであればそれはそれで注意を引くから、授業者とてそれなりの「意味」を受け取っていたには違いない。つまりわかっている「つもり」だったのだ。
冒頭の一文、口語訳は「石炭はもう積み終えた。」くらいにしておく。文末の「た」は過去ではなく完了。
これがどのような事態を示しているか?
授業者はこの一文から、船室に石炭ストーブがあって、燃料として各室に割り当てられている石炭をすべてストーブに入れてしまったというような状況をイメージしていた。もちろん「積む」という動詞が「ストーブに入れる」というような意味に解釈できるかどうかは曖昧にしたまま、その解釈を放置していたのだ。
今となっては馬鹿馬鹿しいこうした解釈をなぜしてしまったのかについては自分なりに分析できる(言い訳だ)。
2点。
- 冒頭の一文で述語となる「積み果てつ」の「積む」という行為の主語が省略されている。無意識にそれを「私」=語り手だと想定してしまった。
- 冒頭の一文に続くのは「中等室の卓のほとりはいと静かにて、熾熱灯の光の晴れがましきも徒なり。」という船室の描写。だから「石炭を積み終えた」も、船室の状況を示す何事かであろうと考えた。
石炭ストーブの燃料をすべてくべてしまったから何だというのか?
それはつまり、やがてそれが燃え尽きた後の寒さが予感されている、ということなのだろう、というのが漠然とした理解だった。
だが生徒の問いを前にしてあらためて考えたときに、そうではない、と気づくのは、それでは「意味」が充分にはわからないことが自覚されるからだ。
解釈とは基本的に文脈において生ずる。
この「意味」とは、もっと広い「文脈」におけるそれだ。
問いの「何のことか」と「なぜ冒頭にこの一文が置かれているか」は、この「文脈の中で生ずる意味」についての考察を要求している。「何のことか」についての仮説は「なぜ冒頭にこの一文が置かれているか」まで結びついたときに納得に変わる。「船室の石炭ストーブ」解釈は、その文脈を見出せないことによって挫折する。
そこで次の二つの問いが必要となる。
- この冒頭の一文は何のことを言っているか?
- なぜ冒頭にこの一文が置かれているか?
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