「無常ということ」はまだまるきり霧の中にあるが、これを脱するにはスキーマが必要となる。そしてスキーマは基本的に外側にある。
それこそが次に読む、柄谷行人の「場所と経験」だ。
戦前戦後を通じて小林秀雄が思想界に対して強い影響力をもっていたように、1980年代における柄谷行人はカリスマだった。後に東大総長となる蓮実重彦とともに、何か「別格」的な扱いだった。
蓮実重彦の名を覚えているだろうか?
昨年度、最初に読んだ「思考の誕生」の筆者だ。これでカリスマ3人の文章を読むことになる(もう一人のカリスマは60~70年代の吉本隆明で、彼についてもこの後で触れる機会がある)。
柄谷の文章は、文章の外部に対する参照事項が多く、同時に小林秀雄の文章に通ずるわからなさがあって、高校の教科書には載りにくいし、大学入試にも出題されにくい。正解・不正解が言えないからだ。ただ、全体として「何だかこの人はすごいことを言っている」感と時々「わかった」と思えたときの達成感がカリスマ性の源泉だった。
「場所と経験」は文章の外部に対する参照事項が比較的少なく、短く完結した、高校生にも読めなくはない、と感じられる文章であり、柄谷にしては数少ない、教科書に収録された文章だ。
だが同時に、議論が抽象的に過ぎて結局のところ何が言いたいのかはわかりにくい文章でもある。
この言い方は正確ではない。「わかりにくい」と感じていたわけではない。ただ、振り返れば「それがどうした」という感じでもあったのだ。「わかった」という感じがおとずれた後になってみると。
その感じは、「無常ということ」が「わかった」と感じたのと同時だった。
つまり二つの文章は、互いに相手を、それぞれを理解させるための「枠組み」=スキーマだったのだ。
それは同時にまた、よりも大きな「枠組み」として、それ以外の文章を理解することに有効な「枠組み」でもある。
「場所と経験」をスキーマとして使うと言っても、やはりまず構造化が必要だ。スキーマ=枠組みとはそもそも構造のことだ。骨組みを捉えておくことで、スキーマとして有効に働く。
論の構造を掴むためには対比をとるのが定番の戦略。
いつものように、対比を構成する「具体例・比喩」「形容」「抽象語・概念語」をマークしていく。いくつか文中に挙がったら「ラベル」としてどの言葉がいいかを共有する。
この「ラベル」をどうするのかがいささか問題ではあった。
「無常ということ」が読みにくいのは対比構造が見えにくいことが大きな原因だ。対比要素が対比であることが明白であるように並べられていないし、そもそも考えるための手がかりとしてのラベルが決まらない。
「『である』ことと『する』こと」ではこれは明白だった。「である/する」がラベルとして使えることは題名から容易につかめる。
だからといって「場所と経験」は「場所/経験」が対比なわけではない。対比的な要素を挙げる中でそれにふさわしい言葉かフレーズを選ぶのだ。
さて?
各クラスで全班に聞いてみたところ、適切なラベルを選べている班は、意外なほど少なかった。読む前からわかっているとは言わないまでも、読んでみれば対比は明白だと思えるのだが。
文中に明示されている。まず「幻想的な空間/感性的な空間」が対比され、続いて「均質な空間」が「第三の」として対比される。
つまり、この文章は珍しい三項対立になっているのだ。
対比は二項対立だという思い込みが適切な語を選ぶことを妨げているのだろうか。
いつもの直線一本で対比軸を書くのではなく、Y字に三つの領域を区切って、そこに文中の語を配置していく。
挙げるべき語句は、文中の重要と思われる語句、いわゆるキーワードとは限らない。ここを誤解してはいけない。
例えば「人間」や「経験」などの語句が気になる。これらはいずれもこの文章を語る上で最重要のキーワードだが、そのままただちにどこかの領域に配置されるわけではない。これらは決定的に重要なキーワードである「場所=空間」が「幻想的」「感性的」「均質な」それぞれの形容を冠してどの分野にも属してしまうのと同じように、それ自体はニュートラルな語だといっていい。
すなわち「人間」に対して「感性的」に直面することもできる一方で「均質な」空間にいるものとして捉えることもできるし、「感性的な空間」における「経験」もあるし、「幻想的な空間」における「経験」もあるのだ。それぞれの例を文中から指摘することが可能だ。
あるいは「知識」も目を引く。
だがこれも「真に『知識』を持つこと」という形で「感性的」に配置できるものの、それは「擬似的な『知識』=もっともらしさ」との対比において初めて意味をもつものであるに過ぎない。つまり「知識」そのものをとりあげるよりも、それを「真」たらしめる条件の方が重要なのだ。
ここでも、対比的なのは名詞ではなく「真の/もっともらしい」という形容だ。
これは「無常ということ」の「歴史」も同じだ。歴史はその捉え方で様相を変えるから、対比的なのは歴史の方ではなく向き合い方なのだ。
ただ、その主張を述べることで、筆者は「歴史」や「知識」を対比のどちら側にあるものと見做しているのだ、と言うことは可能ではある。
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