2026年2月15日日曜日

視点を変える19 地図2 スキーマ・ゲシュタルト

 さてこの文章にもソシュールが登場する。となれば言語と類比されているということだし、となれば「広告の形而上学」とも類比できるということになる。

 地図・言語・広告・貨幣。

 これらの共通点は何か?


 ここで先ほどの対比が登場する。

意味/記号

 これはすなわち、次の対比のことだ。

意味/言語

商品/広告・貨幣

 ということは次の対比もそれと類比的だということになる。

世界/地図

 これらはどのような意味で共通しているか?


 言語と広告と貨幣の類比は忘れてはいまい。そこではどのような論旨が語られていたか?


 とりあえず「恣意」「先後」について言おう。その際、普通はこう思われるだろうが、実は~という語り方をする。文章が書かれるのは、常識に反することを言うためだ。

 「恣意」については「言語の恣意性について」で述べられていた「第一の恣意性」と「第二の恣意性」について、分けて言えればなお良い。


 「第一の恣意性」は上記の対比の左右の結びつきが恣意的だという時の恣意性だ。若林の文中にある、犬に対して「イヌ」とも「Dog」とも言える、というのがその例にあたる。

 「もの」の名前は必然的なものではなく恣意的なものだ。


 「第二の恣意性」は切り分け・分節化の恣意性のこと。

 虹は七色と言ってもいいが三色と言ってもいい。言語ごとに違う。虹の色の分節は何ら必然的ではない。


 これを広告や貨幣について言い、そのまま地図にも適用する。(広告・貨幣については→)

 すなわち、ある地域を表すのに、どんな地図でも描けるということだ。

 ここは例を挙げたい。どんなのを思い浮かべる?


 国土地理院が出しているような「ザ・地図」のようなものも、駅前の観光マップのようなものも、誰かに道案内するためにメモしたようなものでも「地図」だ。

 「ザ・地図」も、そこにどんな情報を盛り込むかは千差万別で、道路の接続を重視するか、土地の利用状況を記すか、土地の高低を表現する等高線を描くか、目的に応じて選ばれる。

 どの範囲をどの縮尺で切り取るかも自由だ。あるいは、太平洋中心の世界地図か大西洋中心の世界地図か。大抵の国では自国を中心にした世界地図を使う。南北が逆さであってもいい。


 では「先後」問題とは?


 普通は「もの」(意味)が先にあって、そこに後から名前(言葉)がつけられると思われるのだが、ソシュールは言葉が我々にその「もの」を認識させるのだと言う。

 商品に見合った価値の値段がつくのではなく、値段を見てその商品の価値がわかる。


 もちろん対象となる土地は物理的には既に存在する。

 だが我々は地図を通して、その土地を把握する。

 そういう意味で世界が先で地図が後なのではなく、地図が先で世界(の認識)が後なのだ。


 さて、これもまた「視点を変える」シリーズだということは、つまりスキーマとゲシュタルトの問題だ。

 まずはスキーマとゲシュタルトという概念の関係を確認する。これはつまり、一文をつくれ、ということだ。2種類以上。

 復習だ。迷ってはいけない。

  • スキーマが変わるとゲシュタルトが変わる。
  • スキーマにあてはめてゲシュタルトを構成する。
  • スキーマがないとゲシュタルトもできない。

 ここに地図を代入する。地図はスキーマか? ゲシュタルトか?


 勘の良い人はすぐわかるとおり、どちらでもある。

 どちらにもあてはめて、それぞれどのようなことを言っているのかが説明できれば良い。

 前の「メディアがつくる身体」に基づくと「メディア」=「スキーマ」=「地図」ということになる。文型を揃えてみよう。

  • メディアが身体観をつくる。
  • 地図が世界観をつくる。

 地図を通して人は「世界」や「社会」を捉える。

 これは、地図がスキーマであることを意味している。


 ここまでを総合していくと、言語・貨幣・広告・地図はいずれもメディアであり、記号であり、スキーマだということになる。

 そして、あるスキーマによってできたゲシュタルトが「社会的身体」であり地図だ。それらは実体ではなく概念・観念・イメージだとどちらの文中でも表現されていた。

 我々はそのようにして世界を、自分の身体を認識する。


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