「ちくま評論入門」の松岡慧祐「グーグルマップの世界」を、若林幹夫「地図の想像力」と読み合わせる。
共通項は「マップ=地図」だ。
どんな論旨が共通して、それぞれにそこからどこへ論旨が発展しているか?
まずは共通した論旨。単文で、しかも2文節の1文で言おう。
主語と述語はそれぞれ何か?
いろいろな言い方が考えられるが、2文節ということである程度は限定されてくる。なおかつ、前の文章からの流れを引き継いで、次のような文にしておく。
地図はメディアだ。
どういうことか?
解釈して作文するというより、それぞれの文中に、こうした記述が見つかる。だから、こうした一文が自然に想起されることが望ましいが、一方で、提示されたときにそれが説明できるようになっていることも必要だ。
「メディア」とはもちろん「マスメディア」のことではなく、原義の「媒体」、つまり「媒介するもの」だ。
地図は何と何を媒介しているか?
人と世界あるいは社会を。
地図は人と「世界」「社会」を媒介するメディアなのだ。
この共通論旨を元に、それぞれの文章の論旨をみていこう。
まず「地図の想像力」は、対比をとっていく。見出しで区切られた段落ごとに対比をとると、おおよそ次のような対比が見つかる。
写し取る/表現する
複雑/単純
すべて・そのまま/まばら
そのもの/イメージ・概念
内容/記号
再現/意味
これらを一直線上に書き出していくと、最初のうちはいいが、後半になって妙なことに気づく。
「記号」は「意味」と対比されることが多い。なのにいずれも右にある。
あるいは「内容/記号」というときの「内容」とはすなわち記号が示す「意味」のことだ。「意味」が左右のどちらにも出てきてしまう。
それどころか、この文章の前半には次のような対比も出てくる。
現前/再現
これは上記の
再現/意味
と、どういう関係になっているのか。どちらも「~ではなく」型の対比だというのに。
用語が厳密に選定されていないという意味では、これは若林の不注意でもあるが、それぞれの対比で言いたいことはそれぞれの文脈でわかるからいいのだ、とも言える。
「地図は現前ではなく再現だ。」というときの「再現」は「表現」の言い換えであり、「現前」は「写し取る」の言い換えだ。
一方「地図は再現ではなく意味だ。」という時の「再現」は上の「写し取る」「現前」のことであり、「意味」は「概念」や「解釈」に近い。
混乱するからやめてほしいとも言えるが、このとおり、それでわかるようになっている、とも言える。
さて「意味」が左右どちらにも出てきてしまうのは、もうちょっと厄介な問題ではある。
とはいえ実は単なるミスリードでもある。
列挙した対比は、いずれも「地図は」という主語に対して、右辺が述語になる対比だ。
ただし、「意味/記号」以外は「ではなく」で左右が接続されるような対比になっているのに対し。「意味/記号」は「地図は意味ではなく記号である」と言っているわけではない。したがって、それ以外の対比とは、対比軸が違っているのだ。
単純には次のように書ける。
再現/意味/記号
この二つの軸それぞれが文中にあるのだ。
最も単純に言えば「地図は世界そのものを再現しているのではなく、それを解釈した意味を表す記号である。」という一文に翻訳できる。
この「記号」を単に地図「記号」のことだと狭く理解してはならない。言語と地図が類比されているのだから、地図そのものが記号であると言っているのだ。
記号とは何か。何かを表すもの、だ。地図は何を表すか。地表の姿を、世界を、表している。だから記号なのだ。
0 件のコメント:
コメントを投稿