読み比べ二つ目は「こころ」だ。
共通=対応する要素は何か?
「山月記」との比較では、まず主人公の共通点を確認した後、空間の対比を重ねることで二つの物語を重ね、それぞれの物語が新たに見える瞬間を捉えようとした。
ここでは主人公以外の登場人物も挙げて、対応させてみる。
A
①私(先生)―豊太郎
② K ― 相沢
③お嬢さん―エリス
④ 奥さん―老媼
これはどのような対応か?
①は主人公。それだけではなく、それぞれが手記であるような一人称小説における語り手(書き手)でもある。「山月記」が三人称小説であり、李徴が語り手ではないことに比べても大きな共通性が予想される。
②は主人公の友人。①にとって東大の学友でもある。
③は物語のヒロイン。
④はヒロインの母親。
「山月記」比較同様、まずは人物造型の共通性を考えてみる。
「私」と豊太郎は、似ていると言えなくもない。一人称の語り手は自らの心の裡を語るからどうしても内向的に見えがちだ。
二人のヒロインもまた、ともに小悪魔疑惑のある魅力的な少女という点では似た印象もある。そしてそれが二人の賢さ故であって、その清純を疑うには至らない、といった巧みなバランスで描かれている。
奥さんとエリスの母は、悪巧みをしていそうな雰囲気が似ていなくもない。もちろん二人とも生活上の知恵としてそうしているのであって、悪人というわけではない。
そして二人のヒロインはともにみんなと同じく16-17歳で、なおかつ主人公の二人は25-26歳だ。
このように主要な登場人物4人が、設定としては見事な対応を見せる。
この対応を元に、物語を記述してみる。
人物を示す番号を使って文を作る。例えば「①が③をめぐって②と争う」などという文だ。番号に、それぞれ二つの物語の登場人物名を代入する。
だがこの文はうまくいかない。
「先生がお嬢さんをめぐってKと争う」がかろうじて言えるとしても、「豊太郎がエリスをめぐって相沢と争う」はまるで「舞姫」の物語とは似ても似つかない(本当は「こころ」も、そういう物語だと言えはしないとみんなはわかっているはず)。
ではどのような文なら、それぞれの物語が表現できるか?
みんなの考えた文を挙げてみよう。
- ①が②と③の選択に悩む
- ①と③の関係に②が障害となる
- ①の③への思いを②が妨げる
- ①は③との関係を②に隠す
1を翻訳すると次のようになる。
「こころ」
先生がKとお嬢さんの選択に悩む
「舞姫」
豊太郎が相沢とエリスの選択に悩む
これもまた「こころ」については本当はそうは言えないとわかったうえで、かろうじて、というところではある。
2ではこうだ。
「こころ」
先生とお嬢さんの関係にKが障害となる
「舞姫」
豊太郎とエリスの関係に相沢が障害となる
この「関係」を明確にしたのが3だ。
「こころ」
先生のお嬢さんへ想いをKが妨げる
「舞姫」
豊太郎のエリスへの想いを相沢が妨げる
このように、物語の構造を、人物の関係という点から抽出して、二つの物語を比較しようというのがこの試みだ。
だが、実はAの対応はこれ以上、何らの発展的な考察を生まない。主人公の二人には共通したものも感じられるが、お嬢さんとエリスの印象はかなり違う。さらにKと相沢の対応には強い違和感がある。人物としての共通性は「優秀」くらいで、その人物造型はまるで似ていないし、何より物語上での役割が違いすぎる。
登場人物を対応させるのは、物語を対応させるためだ。物語を重ね合わせようと考える思考と、登場人物の印象を重ねようとする思考を相補的にはたらかそうとすれば、このような対応はむしろ思いつかない。
では、物語の構造を表現することを目的として人物を対応させるには、どのような組合わせが考えられるか?
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