比較読解の最初にとりあげるのは中島敦「山月記」。
どう比較するか?
評論の読み比べでも毎度、まず何を考えるかといえば? と訊くと、主題だ、要約だ、対比だ、と今までやってきたことが次々と挙がった。もちろんそれらも有効な方法だが、まず、といえば「共通点を定位する」だ。
両者の共通点を探してそこをピン留めして、その周囲に拡がる構造を徐々に重ね合わせていく。そうすることで双方の構造が明らかになっていく。一方で重ならないところ=違いが明らかになっていくところも、それぞれの文章の読解として有益だ。
読み比べは、読み比べることによってそれぞれの文章が、ある姿で立ち上がってくる読解のメソッドだ。
さて「山月記」と「舞姫」、両作品を思い浮かべ、その共通点が何かと考える。すぐにわかる。主人公のキャラクターがあまりに似ている。
まずはその人物造型の共通性を具体的な表現の中で跡付けていく。そして、きわめて似通った性格をもった主人公がどのような物語の中に置かれているのかを考察する。
文章中から必要な情報を探して目的に沿った再構成をする力というのは、必要とされる国語力の中でもとりわけ基本的であり、重要なものだ。李徴と豊太郎の人物造型の共通性を述べるためには、どのような設定、どのような挿話、どのような形容を物語中から探し出して併置すればよいか?
授業では「属性」「性格」「言動」「経歴」などとタグ付けして項目立てることを提案した。排他的な項目ではない。きれいに分類せずとも、あれこれ考えるための手がかりにすればいい。
二人はともに優秀で、いわゆるエリートである。
李徴は〈博学才穎、天宝の末年、若くして名を虎榜に連ね、ついで江南尉に補せられた〉。
豊太郎は〈旧藩の学館にありし日も、東京に出でて予備黌に通ひし時も、大学法学部に入りし後も、太田豊太郎といふ名はいつも一級の首に記されたり〉。
二人はともに高級官吏となるが、やがてその職を辞する。
経歴だけではない。性格もきわめて似ている。
二人はともに強い自尊心をもっている。
李徴は最初の任官の折は〈自ら恃むところすこぶる厚く、賤吏に甘んずるを潔しとしなかった〉ために官を退き〈詩家としての名を死後百年に遺そうとした〉がかなわず、二度目の奉職の折は〈彼が昔、鈍物として歯牙にもかけなかったその連中の下命を拝さねばならぬことが、往年の儁才李徴の自尊心をいかに傷つけたかは、想像に難くない〉としてついに発狂する。
一方豊太郎は、官命により〈わが名を成さんも、わが家を興さんも、今ぞと思ふ心の勇み立ちて〉、洋行したがひそかに〈幼き心に思ひ計〉っていた〈政治家になるべき〉道にすすむこともかなわず、三年もたつと〈このころより官長に寄する書にはしきりに法制の細目にかかづらふべきにあらぬを論じて、ひとたび法の精神をだに得たらんには、紛々たる万事は破竹のごとくなるべしなどと広言しつ〉と尊大な態度をとったり、免官されたあと、新聞社の通信員となると〈今まで一筋の道をのみ走りし知識は、おのづから総括的になりて、同郷の留学生などのおほかたは、夢にも知らぬ境地に至りぬ〉と同輩を軽侮する。
一方で二人はともに自尊心と表裏一体の怯懦(臆病で意志薄弱)を心にひそませている。
李徴は〈己の珠にあらざることを惧れるがゆえに、あえて刻苦して磨こうともせず、また、己の珠なるべきを半ば信ずるがゆえに、碌々として瓦に伍することもできなかった〉と告白する。
豊太郎は留学生仲間と〈勇気なければ、かの活発なる同郷の人々と交はらんやうもなし〉と告白する。
これらの「弱さ」が、どちらも物語中で重要な自己発見として語られるのも共通している。
「山月記」の最重要フレーズ「臆病な自尊心と、尊大な羞恥心」は、まったくそのまま豊太郎をも表わしている。
こうした性格故に、二人とも人づきあいが悪い。友達は少ない(だが、一方で重要な友人が物語中に配されているところも共通している。あの二人だ)。
二つの物語の主人公は、できすぎではないかと思われるほど似ている。
主人公が似ているということは、そうした主人公を中心とする物語に、共通した構造がある可能性を示している。物語を「~が~する話」「~が~となる話」などと要約するとき、その主語は述語に必然性をもたせるように造型されるはずだ。
そう考えたとき、「山月記」と「舞姫」を重ね合わせることが可能になる。
例えば二人の経歴を重ねてみる。李徴の「官吏→詩人→官吏」という経歴と、豊太郎の「官吏→通信員→官吏(?)」という経歴を重ねると、何が見えてくるか?
こうした経歴は一見似たような軌跡を辿っている。だが最初の転職は李徴にとって辞職だが豊太郎にとっては免職である、といった差違は指摘できる。
それよりも、二度目の官吏への復職の際の二人の葛藤を重ねてみよう。
李徴が復職しようとするのは「詩人としての名声/妻子の生活」という選択の上で後者を選んだからだ。同様に豊太郎は「名誉の回復/エリスとの生活」という選択で前者を選んでいるように見える。
そしてこのように考えたときに、二つの物語の共通性よりもむしろ違いが見えてくる。一見したところ、二人が選ぶものがともに官吏への復職であるにも関わらず、それは逆の価値観に基づいているようにも見える。一方、両者とも「実生活」に重心があるいう点では共通していると言えなくもない。
だがそれよりも相違として指摘したいのは、一つは、豊太郎の復職の可能性が、豊太郎自身の選択によるものであったか、という問題と、もう一つは、棄てられたものの意味合いである。前者の問題は「こころ」との比較で検討するので措くとして、後者の問題において比較されるのは何か。
李徴にとっての詩と豊太郎にとってのエリスの意味だ。
李徴にとっての詩の意味とは何か?
世の中の「山月記」論の中には、李徴の発狂を詩への執着に起因すると論じているものもあるが、李徴にとっての詩とは、文学=芸術としての詩ではない。
・下吏となって長く膝を俗悪な大官の前に屈するよりは、詩家としての名を死後百年に遺そうとした
・俺は、俺の詩集が長安風流人士の机の上に置かれているさまを、夢に見ることがあるのだ。
これらの表現から感じられるのは、李徴にとっての詩が、それ自体目的ではなく名声を得る為の手段に過ぎないということだ(去年の授業でこのことは確認した)。
それ以外に、李徴が本当に良い詩を書こうとしていたとか、詩の魅力に取り憑かれていたと読めるような記述はない。袁傪が李徴の詩に「どこか(非常に微妙な点において)欠けるところがあるのではないか」と感じたという「山月記」の重要な論点の一つを、ここから説明することも可能だ。
一方豊太郎にとってのエリスの意味は、「舞姫」全体の主題把握に関わる大きな問題であり、「檸檬」との比較で論ずる予定なのでここでは深く立ち入らないが、上のように把握される李徴にとっての詩とはまるで印象が違う、とは言える(ただし、エリスもまた目的ではなく手段だったのだ、という言い方は、また新たな「舞姫」論につながりそうな予感もある)。
共通性よりも相違の方が強く感じられるという意味で以上の考察は授業者の意図したものとは違っているが、それでもこのような考察を可能にするという意味では、それ自体が比較読みの意義ではある。
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