読み比べは、共通性を見ようとすることによって、「細部」を削ぎ落とした「構造」を浮かび上がらせる。
「山月記」の主題に直結する問題は何か? 「山月記」とは何を言っている小説なのか?
もちろんこれは既習事項でもあるが、素朴な読者として考えてみてもすぐにわかるはずだし、大方の読者には同意される。
これに相当する問題が「舞姫」に見出せるか?
「山月記」の問題とは「李徴はなぜ虎になったのか」だ。
ということは「舞姫」の問題は「豊太郎はなぜ一度虎になり、再び人間に戻ったか」だ。
「虎になる」とは何を意味しているか?
これを考えるための手がかりが、「舞姫」「山月記」それぞれを、空間の対比によって捉える位相的分析であり、それらを並べてみることだ。
日本/ドイツ
ウンテル・デン…/クロステル巷
カイゼルホオフ/エリスの家
人間の世界/虎の世界
里・街/山の中
左辺は李徴と豊太郎が元々所属していた世界を象徴する空間・場所であり、右辺は言わば異界だ。「山月記」は主人公が異類となる話であり、「舞姫」は異類となった主人公が人間に戻る話だ。
二人はなぜ元々いた左の空間から右の異界に移行したのか?
前回の二人の経歴の重ね合わせは妥当だろうか?
- 李徴 「官吏→詩人→官吏」
- 豊太郎 「官吏→通信員→官吏(?)」
「山月記」では、この展開の後に虎になる。
これを豊太郎の物語に合わせると、エリスを棄てて日本に帰ることになるが、その印象は適切だろうか?
いささか誘導的に、以下の箇所を全員で読んだ。李徴が「虎」になった時のことを具体的に語る場面、袁傪との邂逅の後、比較的最初の辺りだ。
今から一年ほど前、自分が旅に出て汝水のほとりに泊まった夜のこと、一睡してから、ふと目を覚ますと、戸外でだれかがわが名を呼んでいる。声に応じて外へ出てみると、声は闇の中からしきりに自分を招く。覚えず、自分は声を追うて走り出した。無我夢中で駆けて行くうちに、いつしか道は山林に入り、しかも、知らぬ間に自分は左右の手で地をつかんで走っていた。なにか体中に力が満ち満ちたような感じで、軽々と岩石を跳び越えて行った。気がつくと、手先やひじのあたりに毛を生じているらしい。少し明るくなってから、谷川に臨んで姿を映してみると、既に虎となっていた。
本文を読むことは、具体的な描写や形容によって感じ取れるニュアンスを掴む上で必須だ。そうして掴んだ印象は、作者がそれをどのようなものとして描こうとしているかを表している。
闇の中から李徴を呼ぶ声などは気になるところだ。
これが、李徴が「虎になる」場面だ。それは「舞姫」のどの展開と対応しているか?
なかなか誘導通りにみんながすぐそこに目を付けたりはしなかったが、そもそも経歴が対応しているという指摘がミスリードなのだった。李徴が虎になるのは経歴の最後であり、豊太郎においては日本に帰るところにあたる。それをどう対応させるというのか。
そうではない。もちろんこちらの想定と一致した重ね合わせを感じとってくれた人もそれぞれのクラスにはいた。
授業者は、李徴の「虎になる」は、豊太郎の最初の免官と対応していると考えている。次の箇所を引こう。
かくて三年ばかりは夢のごとくにたちしが、時来れば包みても包みがたきは人の好尚なるらん、余は(…)自ら悟らざりしが、今二十五歳になりて、既に久しくこの自由なる大学の風に当たりたればにや、心の中なにとなく穏やかならず、奥深く潜みたりしまことの我は、やうやう表に現れて、昨日までの我ならぬ我を攻むるに似たり。(…)今までは瑣々たる問題にも、きはめて丁寧にいらへしつる余が、このころより官長に寄する書にはしきりに法制の細目にかかづらふべきにあらぬを論じて、ひとたび法の精神をだに得たらんには、紛々たる万事は破竹のごとくなるべしなどと広言しつ。
闇の中から李徴を呼ぶ声は、何か超自然的なものでも、外部にあるものでもないだろう。李徴自身の心の声であると考えるのが素直だ。
とすればそれは、ドイツ留学後三年経って豊太郎の〈やうやう表に現れ〉た〈奥深く潜みたりしまことの我〉ではないのか。
声にいざなわれて闇の中に駆け出す李徴は〈なにか体中に力が満ち満ちたような感じで、軽々と岩石を跳び越えて行〉く。こうした描写には何か充実感とともに解放感のようなものが感じられる。
一方で豊太郎は学問の脇道に逸れつつ、官長に対しては、本質さえわかれば細かいことは一挙に片づくなどと尊大な態度をとる。
これらは裏返して言えば、二人にとってそれ以前の生活が桎梏であったことを示している。
李徴は妻子を養うために再び就いた地方官吏の職に満足できずにいたのだし、豊太郎は官長や母の期待を今更ながら抑圧と感じている(自分が受動的な機械のような人間だったと振り返る)。
虎になって束の間の解放感と全能感に酔っていると、気がついたときにはこれまで手にしていたものを失っている。「虎になる」ことは二人にとって、桎梏と抑圧からの解放であるとともに、それまで手にしていたものの喪失でもある。
李徴は虎になった自分に呆然としつつも、視界に入った兎を思わず喰らう。豊太郎もまた免官され、母を失い、茫然自失の中でエリスを喰らっていたのだ。
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