宇野は、2020年の菅義偉政権下で問題になった「日本学術会議任命問題」で、政府に任命を拒否された6人の中の一人として話題になった政治学者(おりしも2025年5月現在、日本学術会議を特殊法人化する法案が国会で審議中だが、これは上の問題を引きずっていて、その帰結ともいえる。反対論も巻き起こって、デモが行われたりもしている)。
駆け足で読み進めるために、要約を課題とした。
要約は、現代文分野の学習方法として、最も簡便で最も有効な学習方法だ。とにかくやりさえすれば絶対に勉強になる。
国語の学習は入力(勉強)と出力(テストでの回答)が明確に対応するような教科の学習と違って、やったことと点数の相関がわかりにくい。国語は教科の性質上、スポーツや楽器の練習などと同じ「実技」科目だから、今日の練習でいきなりうまくできるようになるわけではないからだ。
それで、「国語の勉強は何やったら良いのかわからない」という意見が世に溢れていて、その揚句「国語は生まれつきの才能だから勉強しても無駄」などといった俗説も飛び交う。
だが、練習しないよりした方が上達するのは間違いない。中学高校の部活だって、もちろんみんながオリンピック選手だのプロだのになれるわけではないが、部活外の人よりはまず上手くなるものだ。少なくとも昨年の自分よりは絶対うまくなる。その上達が一日二日では(あるいはテスト直前の勉強では)わかりにくいというだけだ。
で、その練習方法として最も有効なのが要約だ。
要約は、字数を変えると、いくらか効果の異なる学習になる。
短くすれば原文の本質・核心をつかむ練習。
長くするほど展開の論理的組み立てが必要になる。
今回のはノート2行くらい、50~60字くらいに、という指定だった。みんなどんなふうに要約したろうか。
試みに、ひとつ。
現代のデモクラシーは、一人一人他人とは違った〈私〉が集まって〈私たち〉をつくらなければならないという問題に直面している。(60字)
最後の2頁の論旨を中心にしている。題名との関連も重視している。
一度書く時間をとってから、今度は「近代」「個人」という言葉を入れて、もう少し長く、という条件をつけてみる。半分以上の人は最初から使っていたが。
例えばこんなの。
近代、古い伝統や宗教から自由な「個人」が生まれた。一方で誰もが同じような〈私〉になってしまう中で、かえって自分の個性を求めるようになっている。
最後の2頁より以前の趣旨は、こちらの要約の方が適切に表現しているように感じる。両者の趣旨は、これだけ見ると結構異なっている。
みんなはどちらの論点を中心に要約しただろうか。もっと長ければ両方の趣旨を含む要約を書けば良い。だが短いときにどちらの趣旨を採るかは判断に迷う。
つまり要約に正解はない。とにかく要約しようとすることが練習になる。
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