2022年12月4日日曜日

視点を変える 2 認識とは

 「木を見る、森を見る」はまた、授業の考察内容とも共通した趣旨が述べられている。茂木も小林も授業の一環で読んだのだから、まあそれを扱った授業の内容と重なってくるのは当然だが。

 さて、「夢十夜」の授業ではどんな考察をし、それが「木を見る」のどんな論旨と重なるか?


 あまりにあてもないと考えようがないので、「第一夜」の最初の2時限だ、と誘導した。教えられる前に気づいた人は偉い。

 茂木・小林の文章は4回目あたりに配ったものなので、その前、「形容と描写を抜く」の前だ。授業ではどんな問いを発して考えさせたか?

「主題」を考えることと「要約」することはどう違うか?

「物語」とは何か?

 これら二つの問いによって、もっと大きな枠組としては何について考えたか?


 「第一夜」に入って繰り返してきたのは次のような問いだ。

「小説を読む」とはどういうことか?

 上の二つの問いに対する考察から、この問いについてどのような知見が得られたか?

 一方で「木を見る、森を見る」の何をこれと重ねることができるか?


 「木を見る、森を見る」からは次の問いに対する答えを抽出すれば良い。

「ものを見る」とはどういうことか?

 

 実は「小説を読む」と「ものを見る」を重ねることは、上記の、茂木・小林との比較でも考えたことだ。「見る」ことは「要約」と「視覚的アウェアネス」の両面があり「小説を読む」もそうだ、という。

 だが「第一夜」の最初の2時限はまだ「視覚的アウェアネス」の面について考察する前の部分だ。そこではどんなことを考察したか?


 さて、もう一つ条件をつけた。「ゲシュタルト」と「スキーマ」という語を使え、という条件だ。この際だからこの二つの心理学用語を使い回して、その概念を自分のものにしよう。使える語彙は多い方が良い。


 重ねる上での見当をつけるために「小説を読む」と「ものを見る」に共通する、一段抽象度の高い言い方をしておく。

 こういう時に適切な表現を思いつくかどうかが、何度も言っている通り国語力の高さを示す。各クラスでそれを指摘できた人は偉い。


 両者は「認識」という言い方で重ねることができる。つまり「物事を認識するとはどういうことか?」という問いに、「ゲシュタルト」と「スキーマ」という語を使い、それを、一方では「第一夜」の考察結果から、一方では「木を見る、森を見る」から、適切な具体例を挙げて説明すれば良い。


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