2026年の授業を始める。
科目名は「総合現代文」。文科省の学習指導要領にはない科目で、学校が独自に設定した科目だ。
教科書は筑摩書房の「論理国語」と「文学国語」。これが文科省の定める科目名なのだが、両方を履修させるのは「標準単位数」に反するのでできない。といってどちらかだけを履修させるのは惜しい。そこで、本校では両方の教科書を使った独自科目にしたわけだ。
昨年度は「現代の国語」という科目を「現国」、「言語文化」を「言文=ゲンブン」という略称で呼んでいたはず。だが、授業者にとって「ゲンブン」とは2022年からの新教育課程になるまで長らく「現代文」を指していた。昨年は「ゲンブン」といえば「言文」、つまりは「古典」のことだったのに、今年はまた「ゲンブン」が「総合現代文」のことを指し、「古典」はそのまま「コテン」と呼ばれることになるのだ。
そして1年生との間では「ゲンブン」が指す科目は違ったものになってしまう。
まぎらわしい。
ブログ名はそのままに、これから2年間は「現代文」について書き綴っていく。
去年の授業について少々。
3月の生徒総会で「熟議をこらす」ことと「円滑な議事進行」の相克について話した。
この二つは「時間がかかる/かからない」という反対の方向性をもっている。だがどちらかが大事なわけではない。どちらも大事だ。
本当の対立は「熟議をこらす」ことと「拙速に結論を出す・議会が形骸化している」であり、「円滑な議事進行」と「停滞・混乱した議事進行」だ。
だから「熟議をこらす」と「円滑な議事進行」は反対の方向性なのにどちらも大事なのだ。
授業でも似たようなジレンマを感じていた。
次々と文章を読んで、さまざまな問題を考えたい。
だがじっくりと考えたい。
時間のかかり方という点では相反する方向性をもった二つの希望だ。
もちろん両方大事なのだから、どちらかといわずバランスをとるしかないのだが、せめてみんなには次のことを期待したい。
授業中に対峙するいくつもの問題点について、常に「じっくり考え」てはきたものの、時間がいつも足りなかった。
そういうとき、常にその時点での、自分なりの結論が表現できるところまでまとめきることにこだわってほしい。毎度毎度、最後のところで誰かが(授業者が)結論を言って終わってしまうことに流されないでほしい。
ひとつひとつの考察を、次の考察に使う武器として、確実に装備していってほしい。
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