後期は、今年度最後の授業まで17時限くらいかけて森鷗外の「舞姫」を読む。
漱石の「こころ」も、同じくらいの時間をかけて読んだ。あの難問群の数々を考察するためには、それだけの時間が必要だったのだ。そうした考察を積み重ねて、最後に見えてきた光景が、最初の時とはどれほど違ったものになったか、みんな覚えていると思う。
「舞姫」もまた、考えれば考えるほどに、同様の問題が発見される濃密なテキストだ。
だが授業の進め方は「こころ」とは些か異なる。授業前に全文通読を指示した「こころ」と違って、「舞姫」は授業中に全文に目を通す。
ほぼ現在の口語と変わらない「こころ」と違って、それより四半世紀近く前に書かれた「舞姫」は、擬古文と呼ばれる文語で書かれている。
当時、言文一致運動は試行の直中にあり、鷗外もまた言文一致=口語による文章も書いていたが、「舞姫」は試行中の口語ではなく、歴史ある文語で書かれている。仮名遣いこそ現代仮名遣いにあらためたものが教科書に載っているのだが、この長さの文語文をすらすらと読み進めて内容を把握するのは、正直キツいはずだ。
そこで、授業中に全文を通読する。
といって、細かい意味を解読していくとなると、ほとんど古文の授業のようになってしまいかねない。文語文法に正確に則って書かれた「舞姫」は、助動詞や現古異義語、禁止の副詞や係り結びの逆接用法など、むしろ古文の学習教材として恰好な素材とさえ言ってもいい(一橋の大問2の近代文読解の練習にもなる)。
だがそれには「舞姫」は長すぎる。ここはあくまで小説読解の教材として「舞姫」を扱いたい。授業者による解説を最小限にしつつ、できるだけ早く内容把握を促し、考察したい問題に焦点を絞りたい。
そこで、次のような手順で本文を読み進める。
- 予め授業者の方で「舞姫」全体を14の章に分割しておく。各章は、内容的に切りのいい、2頁程度の長さ。
- 口語訳の朗読音源を聴かせる。みんなは朗読を聴きながら本文を目で追って、文語と口語を対応させる。
- 1章分2頁程度の口語訳を聴き終えたら、その章の内容を3文の箇条書きで要約する。
3の要約は、なるべく簡潔な、単文で表現する。「単文」というのは、主語述語の組合わせが一つだけの文のことだ。主語述語に、必要な形容や目的語などを加えて、5文節くらいにまとめる。ノートで1行くらいの長さが見当だ。
これを三つ、各章を3文で要約する。
要約文は、頭の中で考えているだけでなく必ず書く。ノートには充分な余白を設けて、後から書き込みができるようにしても、最終的にノート2頁以内で「舞姫」全文を要約することになる。
1章につき、このサイクルを15分程度で繰り返すと、1時限で3回、7~8頁読み進めることになる。それでも「舞姫」を読み終えるのに、4~5時限程度を要する。
だが、全文を通読してから読解するのではなく、読み進めながら、その時点で考えるべきことを考えていく。例によって「部分的な読解」だ。
いくつかの場面でこうした読解/考察をはさんでいくと、最終的に全編を読み終えるまでに10時限くらいかかる。
それから「舞姫」という小説全体を考察する。
読解には、3年間やってきた「読み比べ」の方法を使う。
比べるのは「山月記」「こころ」「檸檬」「羅生門」。
それぞれの小説との読み比べることで、「舞姫」はその都度その姿を変える(スキーマが変わればゲシュタルトは変わる)。
授業で読み進めている部分より先を自主的に読み進めるのは、むろんかまわない。
むしろ、授業時に口語訳を聴くときに初めて本文を見るのでは勿体ない。先に自分で原文を読んでおいた方が学習になるのはもちろんだ。なるべく速度を上げて文語文に目を通し、かつ的確に意味を把握する訓練は、古文の学習としても有効だ。多いほど良い。
そこで、せめて各授業の前の休み時間には、授業で読んだところの続きに目を通しておく習慣を作ってほしい。
5分でいい。その姿勢が、授業の学習効果を高める。
ずっしりと手応えのあるこの文学史上に残る記念碑的作品を、長い時間をかけて読み進めていった先に、今度はどんな光景がひろがるか。
みんなでそこまで辿り着きたい。